発表の基準(Re: 回文詰め)

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 前の回からかなり時間がたってしまったが、「13手詰は発表していない」と書いておきながら、発表してしまった
 もちろん、この図に至る前の段階ではもっとヒドい図で、この図は「私なりの」ハードルをクリアした結果だ。

 作家には色々なタイプがいて、一概にはいえないが、私の場合は発想段階が手順優先なので、「とりあえず」作意手順が成立するようにすると、大抵は見るに耐えない形になっている。中には、最初に作った完全作が奇跡的に最適化されていて、最少駒数で1枚も差し替えられない、ということもない訳でないが、ほとんどないといっていい(そんな図ができた時は、心底うっとりしてしまうか、素材の底が割れて一気に興ざめして放り投げるか、のどちらかだ)。その見るに耐えない形を最適化していったり、無理を生じさせている手順を変えていったり、という作業をする。

 「推敲」というカッコよい言葉を使う人もいるが。(←それがフツーか。。)

 元々が詰まらない素材だと、この段階で疲れて投げ出してしまうので、ゆえに発表された作品に限ると、私が「構想作家」の地位を築くべく図だけが選ばれてくる。
 (構想作家という表現のほかに、ゲテモノ作家とか、隙間産業とか、「こんなのばっか」とか、言い方は色々とあるが、要は「そういう図面」だけが選ばれるということだ)

 そうした過程で、ベスト・オブ・ベストと断定できる図が得られることもあるが、程々の段階で、「これでよし」とか「まあ、こんなもんか」という判断をする訳だ。その日の気分で、というのもあるが、それなりの判断基準も持っているつもり。
 ここでそれを書いても、まあ一般的なことなので、それは止める。

 ところで、発表してしまった13手詰の回文は、私なりの基準に合格したということだ。
 前段階の図は(もう思い出す気が起きないが)盤面いっぱいに広がっていたのに対して、発表図は盤面半分で済んでいる。特に横幅の使用エリアが、作意手順の玉移動範囲に相応している。この手順に適当なサイズ。何となく小さく収まった気分になるではないか。
 駒数が多くとも、配置が整然としていて、一見ほとんど必要駒に見える。存在理由が分かりにくい駒は、若干ではあるが気持ち悪い。特に変化手順を調整するだけの駒は、後になると作図側も忘れてしまうこともある。「54と」は何のためかって? そりゃあ、急には思い出せない。
 駒数も最適のように思える。もちろん、ここから1枚2枚減らすのは不可能ではないが、1枚減らすために膨大な紛れが増える。この種の狙いでは、作意成立と無関係の紛れは、少なければ少ないほど好みだ。例えば、右下の「と金」を1枚減らすために膨大な紛れや変化と格闘するよりは、3枚並んでいる方がキレイだ。
 変化手順が分かりやすい。間違いを誘うことが狙いではないから、作意より短手数であることが明快である方が望ましい。この図に限っていえば100%、構想段階での変化手順が実現できている。

 なんだ結局のところ全部、その日の気分だし、しかも「回文詰13手」の基準で、ぜんぜん一般的基準じゃないではないか。